たぬきサマー

ミニマリストだけどコスメ好き

【問い合わせ先】「そこまでしてキレイに見られたいの?」【間違ってますよ】

美容の民の皆様は今日も美容に勤しまれてることと思います。

 

美白にときめき

リフトアップに心酔し

保湿力に身もだえる。

 

美容たまらないですね。

 

さて、人様よりも少しばかりでも美容が好きだと

いらぬ言葉を投げかけられる機会が

多少増えてしまうのが世の常。

 

人を外見で判断してはいけない

贅沢はいけないこと

 

このあたりの道徳心

実際の社会生活と自分自身の美しくなることで得られる快楽が

小さくなく乖離してるからこそ起きる現象かと予想します。

 

その乖離に無自覚的な方だと

美容が好きな人を見て

どうしても言いたくなるようです。

 

「そこまでしてキレイに見られたいの?」

 

と。

 

私はこの問いに非常に困ってしまうんです。

 

キレイに見られたい願望はありますし

外見を褒められたらうれしい。

私の美のゴールは、わりと大多数が心地いいとしているものでありますが

その願望はあくまで人並なので

「そうまでして」「見られたい」と来られると

参ったなア、となります。

 

「お金と時間をかけてでも、他者からの賞賛を求めてしまう人間」

という答えを私から導きたくて問うたであろう言葉に

何と返せばいいのか戸惑うのです。

 

(あと私が「そこまで」してしまう分野は

美容だけではなく

仕事であれ、人様への接し方の研究であれ、全部なので

美容だけ取沙汰されても困るのです)

 

でも、私が

お金と手間をかけてでも、

人様から賞賛されたい気持ちで美容をしているからとして

それがなんなのでしょうか?

 

私にムダなことをしているという自覚をさせて

道徳的な教えに帰依させたいのでしょうか。

 

どちらにせよ、私の考えなど聞いても意味がないんですよ。

 

「そこまでしてキレイに見られたいかどうか」

 

それは自分自身に問うことだからです。

他者にするべき質問ではない。

 

どうしてキレイになりたいのか。

人にキレイと言われたいから。

素敵な恋愛がしたいから。

馬鹿にされたくないから。

自分を好きになりたいから。

 

キレイのためならどこまでできるのか。

月5000円まで。

一日5分まで。

人生全部。

 

人によって全部全部違います。

 

こんなにも手段も目的も組み合わせが無限大なもの、

人様の答えを聞いても意味などないのです。

再現性がないのですから。

 

私は平均的に褒められたい気持ちはありますが

そこ中心には考えてません。

 

私の生活は

 

仕事

スキルアップ

健康の向上と予防

美容

女性とワイワイ

 

こちらが大半ですから

「そうまでして外見を褒められたいのか」という問いに対しては

あまりにお粗末なスタイルだと言わざるをえません。

 

私の美容は、「褒められることをわりと大切にしてないか?」

と思われたかもしれませんが、それは

気づかれない程度の効果しかないのなら

やらないほうが得だ、と思っているからです。

褒めらたいからやるというよりは

褒められるほどの向上を望んでいる、が近いです。

もちろん褒め言葉はいつでも歓迎です。

(※お世辞可)

 

「そこまでしてキレイに見られたいのか」という質問に対して

「こんなことにお金かけてムダだった。恥ずかしい。」

と私に言わせて幼稚な人間性を断罪したいのだろうか

と考えてしまいますが

「そこまで考えてない」「被害者意識だ」

と言われるであろうことも予想できます。

 

なので、そんな問答への議論はやめて

「自分に問うてください」

と私は思うことにしました。

 

単純に興味なら勿論歓迎です。

でもその場合、「そこまでして」「見られたい」

こちらは分けたほうが無難では、と感じます。

 

「そこまでして美容するのなんで?」

「キレイに見られたいの?」

この問いなら、答えられるし、ただの興味なのかなー、と

こちらも身構えないで済むからです。

 

まあ「自分に問うてください」とは実際に口にしません。

思うだけです。

チキンなので、質問された側に不快感を与えてますよ、という意思表示は避けます。

 

でも、思うだけで気分が楽になるよね。

 

まぁ、「キレイに見られたいの?」って

結構ケンカ売ってる言葉ではあるよね。

見られたいに決まってるし

そのくせ見られたい気持ちって恥ずかしいし。

 

ルッキズムの偏重は良くないことですが

キレイになりたいという気持ちや

そこへの取り組みに対して

もっとフラットに受け取ってもらうことはできないものだろうか。

 

私自身、美容へ取り組むことの罪悪感はあるのですが。

スキルアップへの取り組みには罪悪感はないのにねえ。

 

私もまだまだ道半ばです。

 

人を外見で判断してはいけませんという道徳的概念から

急に人は見た目が9割という世界へ放り出された世代として

一生かけてじっくり考えていきたい所存です。

 

 

老後のための貯金して

目の前のことを一生懸命して

人に優しくして

その上で美容楽しんだらいいっていう

シンプルな話なんだけどね。

 

※特定の個人の批判ではございません。

長い美容人生で考えていたことです。

 

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