久々の更新が技法書で申し訳ないです。明日はディレイアなので許してください。
今回おすすめする本は、アマチュア向けとは書かれていますが、駆け出し~大ヒットのない中堅作家さんにも十分オススメできる内容となっております。
また、創作をしたいだけけではなく、内向的で自分の性格に絶望や諦めを持っている方にもおすすめしたいです。
自分の言ってることを相手に上手く伝えられずコミュニケーションに苦手意識がある方に寄り添ってくれて、解決の糸口を提示してくれます。
自分の学びが深まったからこそ読むとその真価が改めてわかる本というのがある。
それがこちら。
『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』です。
Kindle版はないので、楽天で買うとポイントがついていいのではないでしょうか。
お買い物マラソン中ですしね!
私はプロ作家として、大きな壁にぶつかっていました。
私のシナリオ作成能力には、決定的に欠けているものがある。
しかし、それがなんであるか言語化ができない。
言語化できないのだから、解決しようもない。
言語化しないと身動き取れない亀。それが私。
そこで、私は物語作りの構造を根本から理解しようと努め始めた。
それがだいたい5年前のこと。
物語には文法がある。それが商業作品ならば尚のことだ。
しかし文法がわからない。
物語を勉強し始めた頃の私は、どこまでが文法で、どこまでが発想なのか、分からない状態でした。
原因は明白。漫画の描き方といった本で教えてくれるのは、せいぜい起承転結と作家さんそれぞれが気を付けられていること。
物語の構造を理解するには、あまりに心許なく、またあまりに体系だっていないのだ。
構造がわからない以上、構造を使えないので、お話作りを100%発想でやっていた。それはあまりに辛く効率が悪い。
膝の裏にドゥラメール塗ってるようなもんだよ。
なんちゅうバチ当たりな例えを…。
なので、スキルで賄える部分は徹底してスキル化し、発想で作らなければならない部分のみに、オリジナリティを使うようにしたかった。
ドゥラメールは効かせたいところにズバンと塗りたいじゃないか。
膝裏に塗っていては、顔の分が足りんのよ。
エジソンは99%の努力と1%のひらめきと言った。
物語も99%の技法と、1%のひらめきでできると考えたのだ。それほど物語は技法でできている。と同時にひらめきがないとどうしようもないというのもエジソン理論と一緒である。
私はひらめきは1%に抑えたかったのだ。努力で補える部分は補った方がいいに決まっている。
あとドゥラメールは顔だけに塗りたい。
そのためにはやはり、物語の構造を理解しておくことが必要だった。
しかし、物語の構造というのは、あんまり楽しいものではなかった。
構造と公式でできているので、思いの外暗記が必要だったのだ。ガチ勉なの。
手触りとしては、楽しい数学といった感じ。
数学って時点でそこそこ楽しくないのが伝わるだろうか。数学に飛び火してしまった。ごめん数学。
私は会話の暗記力はとてもある。
どんな文脈でどのように見下されたか、生涯覚えてる自信ある(悲しいことを言うなよ)そんなつもりなかったとか、考えすぎとか、言わせないさ。
まあ、それはさておき、結構驚かれるレベルではある。
でも単語とか公式はだめ。まるでダメ。スルスル抜けていっちゃうの。
そりゃ数学と違って、大好きな漫画のことだから楽しくはあった。
が、自分の凡百さと、頭の悪さに向き合い続けなければならないのは生き地獄めいていた。
天才なら勉強せずとも物語ることができてしまう。
頭がいいなら、技法書を一度読んだだけで理解ができてしまう。
私はどちらでもないのだ。
地獄はこちら。
くそっ。作家であり続けることを夢みなければこんな痛み避けられたというのに。
技法を学ぶのは面白くはあったし、知らないことは恐怖ですらあると感じるくらい学んで良かったと思う反面、自分の至らなさがつらくてしょうがなかった。
一文一文の理解が進まなくて、ページを捲る手が本当に重かった。
自分を憎んだ5年だったと思う。自己肯定感ってどのタイミングで育てるんだろ。一生育つ気しない。
しかし、物語の文法を考えながらお仕事の物語に向き合い、合間に勉強を続けた結果、私は5年目にして物語の文法を急に理解できたのだ。
別々の技法書で言っていたことがつながって、知識が立体になっていった。
ただ詰め込んでいただけの無機質な公式が、急に温度と手触りを持った理解となった。
そうなると、もう面白くてしょうがなかった。
一度読んだ技法書を貪るようにもう一度手に取った。
読むたび理解が深まった。
ページをくる手があんなに重かったのに、今はものすごく軽い。
理解できる内容だと、読書スピードは早まるのだと知った。知識が身体化したように感じた。
そしてスクリプトドクターの脚本教室・初級篇も再度目を通したくてしょうがなくなった。
一度目でもあんなに面白かったのだ。
2回目だとどんな発見があるというのか。
果たして、やはり死ぬほど面白かった。
のみならず、私の物語作家としての弱点克服法が、なんとここに全部書いてあった。
技法を学ぶ中で、私が物語る際に足枷になっていた性質が明るみに出ていった。
感傷的すぎて、主人公に試練を与えきれないという弱点である。
ほか、人間と関わるのを恐れていること。
摩擦を極端に嫌うこと。
感情にふたをすること。
これらが私の物語のエンターテイメント性を削いでいると気づき始めていた。
初めてスクリプトドクターを読んだ時は、まだ欠点の輪郭が曖昧だったので、面白いことが書いてあるとは思ったものの、自分が真剣に取り組むべき課題だと気づかなかった。
今どうだろう。
痒いところかかれまくり。
サラバ掻痒!
メンタルに深く根差してるがゆえに、お友達に相談するも答えが見えず、相談するのはめちゃくちゃ申し訳なくなってしまい、かといってひとりではどうしようもなくて悩みのループにハマりこんでいた私の物語作家としての欠点。
書いてる!
スクリプトドクターに全部かいてるぅぅぅ!
しむらー! うしろうしろー!
三宅先生はシナリオ教室をされていらっしゃったのですが、もう今は開講されていないようなんですね。
物語のための人格カウンセリング…もう絶対絶対して頂きたかった…三宅先生の授業受けられた方、羨ましいです。
復活はないんでしょうかね…。
創作者には、排出型と萌型があるんですよ。
排出型は、総じて繊細なことを扱いたがり、エンタメ性を出すのが苦手な気がします。
人間としてめんどくさくて、真理やらを追い求めていると、派手で華やかで売れる物語に抵抗が出てしまうんです。
私がそうなだけかもなんですが!
でも野心はあるよね。
よりめんどくさいね。
実は、排出型でもなんも問題はないんですよ。
創作に優劣はないですし。
ただ、商業作家でい続けたい…特に野心がある場合。
ありのままの排出型でいるのは、現実問題厳しい部分があると感じます。
ただなろうと思って排出型になってるわけではないので、やっぱ心の問題を解消しなければならないわけなんですよ。
そんなジレンマに、もう絶対、スクリプトドクターの脚本教室なのだ。
心の問題、心の問題の解決、それをシナリオに活かす方法。
全部書いてあるー!
一回でわからないこと。
一冊でわからないこと。
一回で使いこなせないこと。
世の中とても多い。
でも、諦めず良書を何冊も読んで、何回も読んで、考え続ければ、ある日突然理解はやってくる。
そしたら本の知識を活用して実践に活かせる。
自分の欲しい答えを探り当てられる。
私は新しい知識を得るのに、だいたい5年強かかる。
フォトショップを使いこなすのに7年。
ペンタブを使いこなすのに7年。
クリスタを使いこなすのにも7年。
物語論に関して5年。
頭が鈍すぎて泣けてくるが、いいのだ。
私は知っている。
自分が必要なものがある時、早めに準備するという美点はあること。
頭が悪くて習得に人の何倍も時間がかかるが、それでも早くから準備しておけば出遅れることはないこと。
そして諦めなければ、習熟がやってくること。
物覚えの悪さへの痛みは毎回変わらないが、やっぱり今回も学びの喜びがやってきてくれた!
物語論は広すぎて本当に難解だったが、掴めてしまえばこんなに面白く有効な知識もないのである。
女性向けにおける物語論の文法も、独自で発見もできた。これについては別記事にしようと思う。
そういうわけで、スクリプトドクターの真価を知った今、満を辞して中級篇を購入する。
この本を読んだあと、こちらで紹介した本も全部読み返す予定。
これらの本をあと2〜3回読んだら、一旦自分の満足いくラインまで物語論を掴めるだろうから、その後、描きたい物語の創作に移る予定なんです。
物語論を理解するための知識の次は、物語るための知識を得るための読書が始まるんだよなー。
いやほんと、物語るって難儀だよね。
さて、物語の弱点克服が見えて、私は絵の弱点も克服できるのではという希望が見えている。
夢のための弱点克服の何が心折れるって、知識が膨大だからなんじゃないかって思うんだよ。
手に負えるのか?
扱い切れるのか?
理解し切れるのか?
という潜在的な恐怖だね。
でも今回、5年かけて物語に取り組んだことで、自信がついたんです。
才能と言われてるものの正体をつぶさにみていって、大部分解き明かせたかのような。
傲慢かもしれない。
でも、まったくのブラックボックスに感じていた時とは、絶対差異があるのもまた事実。
絵もきっと、全貌がつかめる日が来るんじゃないかと希望が持てたのです。
99%のスキルと、1%のひらめきまでもっていけたら欲しい技術は手に入るんじゃないのかと。
99%のスキルを手に入れる努力、まだしてないですもの。
勉強全然してないし、勉強力いっぱいしたら、あの疑問もこの疑問も解けて、スムーズに描ける日が来るはず。
構図のひな型を覚えてしまってからの絵と、そうじゃないときの絵が一緒のはずがないのだ。
絵というものを包括できるような知識を得られたら、今と同じ景色なわけがない。
包括できていないからつらいし、終わりがなく見えるし、包括できるという概念がなさすぎた。
才能教の弊害だ。
まあこれは、絵の上手いお友達が10日間×6時間つきっきりで見てくれて光明が見えたという経験もあるのだけれど、物語を勉強して成果を感じたこともやはり大きいのだ。
学びは辛い。
でも生きる喜びがそこにある。
希望を持つために今日も私は学ぼう。
みんなは何を学んでる?