気づいたことがある。
そうそう失礼なことを言われずに生きてきた人間というのは少なからずいる。
私はかなり失礼なことを言われるタイプだと思う。
その差みたいなものは、さすがに気づいていたので、私のスペックが問題なのだと思っていた。
ダサいとか、しゃべりが下手とか、下半身肥沃な大地すぎとかその他もろもろ。
でも思ったんだよ。
いつになったらナメられなくなるのさ、って。
スペックの問題でナメられてるとしたら、整形して億稼ぐしかない。
実際、いつもそうやって自分を追い詰めていた。
でもそれってどうなんだろ。本当に整形して億稼ぐしかないんだろうか。
絶対違うよなあ。
いや、整形して億稼ぐことで見える世界は絶対あるんだけれど、そこまで追い詰めなくても自分が満足いく程度にナメられない方法ってあるんじゃないの? って。
億とか整形とか、極端なこと言って逃げてない? って。
(整形は私にとっては、金銭的にも勇気的にも健康的にも現実的じゃない選択という意味です。整形そのものが極端というわけでは勿論ございません。
私がしたい整形が骨系ですので、かなり大がかりなものになってしまうというのもあります)
自分の人生振り返ってよくよく考えたんだよ。
ナメられること、自然と許可してた。
ナメられたらちゃんと相手にキレる。そういう選択がなかった。傷つくだけだったんだよ。
どこか私は甘えてたんだと思う。
不当に扱われたとき、みんなわかってくれる、誰か助けてくれる。
そういう望みがどこかあったからこそ、私はナメられることを許可したんじゃないのか。
実際別に助けてもらえやしない。
勝手に期待しては世界に絶望していた。
自分の内面は自分で守るしかない。それに気づけていない。そりゃ世界はイジワルに機能する。
それが私の苦しさの正体じゃないの?
自分の自尊心は、自分で守らなきゃいけないのに、それに気づけていないと餌食になる。
他人はどんどん自尊心削ってくるよ。
気を遣うのはハイカロリーだから、気を遣わなくていいなら気を遣わないだろうし、他人の自尊心削ったら楽しいからね。
そりゃ許可してる人がいたらどんどん削るよね。
ちゃんと「バカにされたら怒るよ」って決めないと。
まあ実際、言い返して他人が傷つくのが怖かったり、
さらに嫌なことを言われるリスクがあったり、
それこそ全然勘違いだったりさ。
ある、あるよ。
上手くキレられる人って少ない。
ナメられてきたくらいだから、キレ方も絶対下手だ。
だから実際キレなくていいと思う。
静かに許さない、ってだけでいいんだよ。
自分じゃなくて、相手が幼稚だったの。
素晴らしい人だったとしても、こちらをナメてくる時点で、自分から見たら、要らないし素晴らしくもない人間なんだよ。
そう思っていい。客観的に向こうが上だから、受け入れなきゃ、って考えなくていい。
表面上は「はーい」って言って、「わあしょうもない人に絡まれてしまった」でいい。
これマジ。
こちらをナメてくる素晴らしい人は、別にこちらの人生に有益じゃないんだよね。素晴らしいってだけで、こちらにとってメリットゼロなの。驚きだね。だから尊重しなくていいんだよ。
この考えをするだけで変わると思う。
私は自分の内面から目を反らしてきた気がする。
世界の仕組みが残酷で嫌いだった。
だってそうでしょう。
バンバンしゃべることも、自分の意見通すのも、素敵なこととされてるけれど、それってある程度、相手を見下してないとできないことだったりする。
より多くの人を見下したほうが生きやすいなんて、道徳の授業と真逆だよね。
そこばかり恨んでいた。
さて私の抱える問題は、というと。
こんな機序のことばかり考えて、自分の内面にある、付け込まれる根本的な性質について考えることをしてこなかったことだ。
こちらに気づいて変えるほうが先だったのだ。
本当はすぐキレるのに、ナメられるのは外見に要因があるのかなと思い
PDフェミニン ナチュラルはナメられやすいのかな~とか、
いやPDファッショナブル要素がゼロだからじゃないの…!?
って考えたりもした。
ちゃうちゃう。
ナメられることを許可していた。
それだけ。
内心キレてたとしても、ナメることを許可していたら、ナメられちゃうんだ。
ナメられについて、いったんPDを基軸に考えたからこそ、内面に気づけた。
PDについて考えるのが楽しかったから、支えになってくれた。ありがたい。
内面の問題に気づけたので、PDフェミニン ナチュラルをもっと楽しめる気がするし、ファッショナブルへの渇望もちょっと静かになった。(ずっと憧れのPDであることに変わりはないけれど)
私みたいにナメられやすい人って、結構いるんじゃないのかな、と思って書きました。
アーユルヴェーダでは、自分への暴力も許していません。
他人への暴力同様、自分への暴力もダメなんです。
だとしたら、他人から暴力を受けてもダメなんですよ。
自分への暴力もダメ、という考えで、私はとっても楽に心地よくなりました。
自分勝手にふるまうのも嫌だし、かといって我慢ももはや別に美徳じゃない。
他人も自分も大切にできたらいいですね。
自分への非暴力はこちらの本が教えてくれました。
ちなみに、心地よく過ごせるようになったあと、ハックがいらなくなるのか? っていうとそうでもないです。
相手が気分が上がるような、素直な気持ちを出す勇気が必要だったり
ハイパー褒め上手さんに褒められたとき、それに甘えず言ったほうがうれしくなるような返しをしたくなったり
我慢だけでは到達できない、更なる高みを目指していくことになります。
疲れ切っちゃってる人も安心してください。
ナメられを許さなくなるとパワーが戻って来ます。
何より我慢ではなく、自分を良くするための挑戦は、エネルギーが切れづらいです。
余談ですが、なんだかんだ失礼な輩がいたとき、助けてくれる人も多かったです。
失礼こかれてる人がいたとき、スマートにフォローできる優しさ。私もいつか手に入れたいなあ。
でも、そういう優しい人の手を煩わせないためにも、やっぱ自衛って大事なんだなって思います。
AC写真の素材が優秀すぎて、ブログを書く新しい喜びに目覚めてる…。
無料登録でも充分すぎるくらい楽しめますのでオススメ。