嫌いを因数分解すれば、嫌いなものってなくなるのかも、とふと思った話です。
私は常備菜という言葉が嫌いでした。
ほんとになんとなくなんですけど。
ある日、なんでこんなに常備菜という言葉が嫌いなのかな、と考えました。
暇だったのかもしれません。
(暇以外のなんだというのか)
考えたところ、パッと浮かんだのが、
おかずなのに、菜という、野菜のイメージ満載の漢字が使われているのが、どうにも気持ち悪いのではないか、ということです。
でも、菜に、おかずという意味はないのでしょうか。
葉っぱのイメージだけなのでしょうか。
はっきりさせようと思い、調べました。
あった。
菜に、おかずという意味、含まれてた!!
恥ずかしいーーー。
じゃあどうして、菜という漢字に、私はかたくなにはっぱのイメージを持っていたのでしょうか。
もう一度調べます。
な、という呼び方の時は、アブラナの花のことを指すようです。
なるほどーそれで。
花なのにおかずってどういうことよ、と脳が混乱していたのですね。
私は、どうして常備菜という言葉が嫌いなのか考え、意味を調べ、知ったことによって、常備菜という言葉が嫌いではなくなりました。
もしかして、世の中のなんとなく嫌いなものは、こうして因数分解することで嫌いじゃなくなっていくんじゃないのかな、という気がしました。
常備菜が悪くないのはもちろん、常備菜という言葉が嫌いな自分も別に悪くはないのです。
ただ、菜を、なと呼ぶ時の意味しか記憶しておらず、だから自分にとっては不自然な言葉に聞こえてしまった、までたどり着けないまま、なんか嫌い、の状態でいるのは、あんまりよろしくないのかなと感じました。
嫌い、って明言することは、強さも表しますが、幼稚さも出てしまうことが多々あります。
それは、自分の感情に正直だから、というプラスの側面より、どうして嫌いなのか、という理由をきちんと掘り下げないことの思考の停止というマイナス面が出るからかもしれませんね。
なんてこと書いてますけど、菜って漢字なんて、小学生で習いますよね。
おかずという意味があることも、恐らく小学生時点で習ってるはずです。
それを忘れてしゃーしゃーと常備菜という言葉を嫌いといい、嫌いな因数分解、なんて記事まで書き、恥の上塗りをしているなーと自覚はしております。
でも書きたかった!
すみません!
アレ嫌い、コレ気に入らない、ってすぐ言う自分のために、ちょっと書き記しておきたかったのです。