たぬきサマー

ミニマリストだけどコスメ好き

【それでも】元カレからの連絡は 不倫の打診or金の無心? 養われる猜疑心【ナルシスト】

その昔、元カレから連絡があったなら

「あらやだ私モテる」

そんなふうに鼻の穴をふくらませたものです。

 

今や

「不倫の打診か金の無心ではないか」

と猜疑心に襲われるようになってしまいました。

 

淫よりも韻。それが真。

 

韻はいいとして、

こんなふうに思ってしまうのは、

「勘違いBBA」という言葉の槍が瞬時に飛んでくると、危険センサーが察知するから。

そう、世の中は冷たく厳しく、辛口なのだ。

 

なので、誰に見られるでもないのに、こうやって己を律してしまうわけです。

 

でも、自分大好きはそんなに恥ずべきことだろうか。

 

自分を好きだと喧伝せず

他人に敬意を払い

自分の判断で行動する。

 

そうやって生きているのであれば

自分のナルシシズムを恥じることもない。

他人のナルシシズムを攻撃する権利もない。

 

年々、その考えが強まっているのです。

 

それでも「自分好きなやつはどうも好かん」という感情は消し去れない。

こんな記事書いてる私ですらその感情はある。

 

その嫌悪の元は何なのだろうか。

「自分好き」が問題視されるとき

そこには他人への敬意のなさが同時に見える。

 

しかし、そこでふと考える。

”自分好き”と”他人への敬意のなさ”は別物だ。

 “自分好き““他人も好き“、は両立するのだから。

 

”自分を好きな人は自分ageな話を聞かせてくるから一緒にいてツライ”、という意見もありそうだ。

 

しかし、それもまた、自分好きなのが問題なのではない。

 

「話術が単純に貧しい」か

「相手と楽しい時間を共有しようという意識が恐ろしく欠落している」

ことが、不快なのではないだろうか。

 

誰だってつまらない話は聞きたくない。

自分好きとは、別である。

 

また、もうひとつの問題として

自分が好きな人は

「他人も自分のことを好きでいてくれる」と信じてしまう。

 

その盲信は、

「他人も自分自身を一番好きなのだ」ということを忘れてしまうまでがセットだったりする。

 

その誤りは、他人様に敬意を忘れた態度をとらせてしまう。

 

嫌悪感の正体は、「自分好き」ではなく、「敬意の無さ」である。

 

そして逆に言えば、ここに気を付けさえすれば

好きなだけ自分を好きになっていいということだ。

 

自分を嫌いで何の得があろうか。

 

他人に敬意を払わないデメリットはあれど

自分を好きでいることにデメリットなどない。

 

自分を嫌いでもつらいだけだ。

自分好きの問題点が明確になったのだから

自分大好きに転向して明るく生きるのも

いいのではないだろうか。

 

こんな時代だからこそ

ネオナルシストのすゝめ。

 

 ナルシストは他人の上に自分を置かず


だよ!

 

 

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