たぬきサマー

ミニマリストだけどコスメ好き

【4000字】美容は美形のコスプレなのだ【ローコストで美人になるなら人は動く】

道を歩いている時、小顔で手足の長い方とすれ違った。

そして、その歩き方の美しさに目を奪われた。

長い手足をするする動かす動作がなんとも優雅だった。

 

そこで気づいた。

美しい歩き方というのは、手足の長い人特有の歩き方なのだ。

美しい歩き方があるのではない。

美しい歩き方があって、それを美しい方がやっているのではない。

美しい骨格の人が自然にやってしまう動きを、私たちは美しいとしている。

ちょっと衝撃の気づきだった。

 

手足長い人の歩き方

手足短い人の歩き方

 

そもそも、そこに、いいも悪いもなかったはずだ。違いがあるだけだ。同じはずないんだから。

 

でも今の社会には、美という概念がある。

その概念は、手足が長い方をよしとしている。

その概念が、

 

手足長い人の歩き方=手足長い人の歩き方だからかっこいい

手足短い人の歩き方=手足短い人の歩き方だからカッコ悪い

 

と定義を固定してしまった。少なくとも私にはそう見える。

 

手足長い人特有の歩き方が、良しとされた結果なにがおこるか。

手足が短い人は、ただ自分の骨格特有の動きをしているだけなのに、カッコ悪いとされてしまう。これは私が手足が短いからこそ痛感している。

 

手足が短い人がかっこよく思われたければ、自然な所作を捨て、手足の長い人の所作に寄せねばならないという労力が発生する。

 

美は努力、なんて言われるが、

手足長い人はそんなに労力がいらない。

 

私が見かけた手足の長い方は、極めて自然に人目を気にせず動いていらしたから。

場所も住宅街であったし。

それでも美しいのだ。残酷である。

 

手足が長い人の所作の労力は、手足短い人の比ではない。

なぜなら、こちらが寄せている側だから。

手足長い人の動きは、存在がもう答えでお手本なのだ。

 

手足短い人は、美という欲望を持った瞬間、自分特有の歩き方ではなく、無理やり手足長い人の歩き方をせねばならなくなる。

(美という欲望がないのであれば、何の問題もない)

 

手足長い人の仕草をする人=手足長い人、だから、方程式によってスタイルを誤魔化せると言うストラテジーを採用する。

 

だから美という欲望を持った場合、手足が短いと負荷が高い。

 

「何の嫉妬の慟哭だ」と思われそうなのだが、これはただの体験談なのである。

 

私は正しいウォーキングを学び、テーピングをしたのだが、めっちゃめちゃ骨が痛くなった。

 

私は足が短いだけではなく太い。

歩き方に問題があるのだろう、ということで正しいウォーキングを学んだときの出来事だ。

 

その歩き方が正しいことは理解できた。

でも私の骨が骨格が、ついてこれなかったのだ。

 

私のドンくさい歩き方は、健康上は正しかったのかもしれない。

 

私は私の骨格に合った正しい動きをしてるのであり、

美しい動きは、私の骨格でやるには負荷が高すぎたのだ。

 

美しい動きは体にいい、とされているが、果たしてそれは真実なのか? このときに疑問が膨れ上がったのだ。

 

その疑問が、スタイルのいいプロっぽくない歩き方の人を見て、解決した。

 

やはり、私の動きは間違いではなかった。

私の自然な動きは、見た目はドンクサイし、どんどん足を太くしてしまう動きかもしれない。

けれど、骨格と健康上はそれなりに正しい。

美しくみられたいとなると、正しくなくなるだけだ。

 

私はこのことから、やっぱり姿勢の悪い美人はあると思った。

表情が暗くても猫背でもダサくても、美人は美人なのだ。

性格は顔に出ると言うけれど、私は性格の悪さが顔に出てる美形の人を、普通に美人と感じると思うし、人柄の良さが出た顔よりそちらに圧倒的に憧れる。

世間が受け入れるかは別問題だけれど。私個人はそう思う。

 

美は努力、なんて言説もある。

でも私は、美人が圧倒的美人になるより、普通の人がやや綺麗になるほうが圧倒的に努力が必要であると思ってる。

でもきっと世間は、やや綺麗より、圧倒的美人をもてはやす。もてはやすまではいい。そりゃそうだ。

私が少し不満に思うのは、努力してる、まで加算してもらえる点だ。

そんなもの、みんなしている。

世知辛いね。

元々持ってるものが得をする上、努力まで取り沙汰してもらえる。

元々美人はそれだけで得をする、という真実が重すぎるから、努力してる、ということにして、心の負荷を減らす、という役割もあるのかもしれない。

まあ、私自身、私より美人が私より努力してるなら、辛さが軽減するのを実感する面もある。ギフテッドじゃないんだ、って安心できる。安いヒューマニズムであるよ。

 

まあでも世の中ってそういうシステムなんだな。

先天的なものがあると、後天的なものまで大きく評価される。

 

その不公平を嘆くつもりも、糾弾するつもりもない。

 

じゃあ、そのシステムの中でどう生きようか、という話なのだ。

 

私は骨格から変えようと運動したから、骨に違和感が出始めた。

それは、そのメソッドがそれほど強力という証左であり、強力であるがゆえに体を痛めるリスクがあるということだ。

体を傷めない人には、とてもドラスティックなメソッドなのだろう。私の体がついていけず悲鳴を上げただけで。

 

いきなりスタイルの良い人の動きを真似しては身体に障る、というリスク管理の必要性すら教えてももらえず、スタイルが悪いと自己責任と言われてしまうのだから、世の中について多少恨み節も出よう。

美のギフテッドを持ち合わせないと、なんて人生は煩雑になるんだろう。

 

じゃあもっとスモールステップで学ばなければならないんだな、と考えることもできるし、事実自分はそうしているが、前段階の学びを入れることは、やはりもともと美貌を持ってる人に比べて手間と時間と努力と知識が必要となってくる。

 

こんなにもリスク管理と手間が多いのに、こちらの努力はおかまいなしで、美貌は知性と努力の賜物という言説が跋扈する。こちらの努力は顕現してくれないだけで、悲しいほどやっているのだ。足の骨が痛い! と人知れず泣く程度に。

 

美に近づくと健康も手に入る、がやや嘘なのではないか、と疑心を抱いたのも、この事があったから。

 

健康を害しても、私は美を手に入れたいと言う気持ち自体はある。

でも気持ちだけではどうにもならない。

健康か美か、って、そんな主体的に選択できる2択じゃない。

 

美の方が欲しいのに、健康を選ばざるをえないのだから。

極めて主体性の奪われた2択なのである。

 

健康を優先したら、美が遠のくこともあるが、今のところそれへの打開策は誰も示せない。

美の才能を持たないと、どんどんおいていかれてしまう。

 

健康をどのみち選ばなければならない私を苦しめる2大言説。

 

美人は努力してるから美人。

美は目指すと健康にもプラス。

 

これらは、場合によっては嘘である、少なくともいつだって正しいわけじゃない。

 

美を渇望するからこそ、美を無視できないからこそ。

欺瞞だと思いつつ、美が押し付けてくる美談に苦しめられてる人へ。

 

私だけはこの2点が正しくはないのだと、お伝えしたい。

正しいウォーキングを習って骨がシャレにならないくらい痛い、なんてこともあるのだ。

 

この言説に乗らなければならないなんて、思い詰めすぎないで。

 

世の中は残酷だ。

私たちを無視して、この言説で回ってく。

 

この言説が正しく機能しない、己の身体。

 

自分だけは愛そうぜ。

なんも悪くないよ。

 

ちなみに、具体的な誰かの発言についてのアンチテーゼなどではない。

世の中にふわっと、しかし強固に蔓延する考え方に、疑問と考えを綴ったのみだ。

 

この、すでに世の中にある言説で、「救われた、元気出た、綺麗になった!」のであるならば、その人にとってその言説は正しい。誇りを持って楽しんで欲しい。その人たちが間違ってるなんて話じゃない。

 

そうじゃない人(私)への救済を探究しただけで、レジスタンスなんてスタンスは取らないザンス。

 

この考えを持ったときから、無理に美しい仕草をしよう、って考えなくなったんですよ。

ウォーキングレッスンへの興味もなくなった。

体感でめちゃくちゃ正しいと思えたウォーキング法で骨が痛むのだからもうどうしようもあるまいよ。

 

でも。

体が楽で、かつ、正しく、美しい所作になるのなら…?

 

それは取り入れたいよね。

 

そこは諦めないほうがいい。

 

で、これですよ。

(長かったね!?)

 

姿勢ベルト!

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いやね。

この一件から、もう美しく見える所作は諦めモードだったんですけれど。

 

でもなんだかんだ姿勢はいいんじゃないか…という気持ちはうっすらありまして。

 

そこで、ゼクシイの付録の姿勢矯正ベルトをつけてみたんです。

なんせ300円だったので。

 

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これがまーーー良くて!!!

 

姿勢は正しくなるし、何より体がスッキリする!!!

 

えーーーー!!???!!!

体もいいし、見目もいい…みたいなこと…ちゃんとあるわけ!?

ってなったんです。

 

「所詮手足の短い私にできることなど少ない」

「手足短い自分が何かをしたところで健康被害まで出かねない」

とスネきっていた私の一縷の光がさした瞬間でした。

 

美は…健康を伴ってくれる。こともある。そして楽!

 

気を良くした私は、バブリズムさんがオススメされていたこちらを購入した次第です。

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なんせスネてたからね。

姿勢ベルトに3000円なんて出せなかったわけですよ。

でもミッキーの姿勢ベルトが良かったことで、こちらを購入する元気がわきました。

 

これが本当に素晴らしい。

めちゃくちゃ楽に姿勢がよくなるんですよ!

これなしで仕事とか、逆にもったいないです!

お仕事中も、美を重ねる時間にしてしまいましょう…!

 

普段Sサイズの方でも、Lサイズがオススメだそうです。

私はうっかりMを購入してしまいましたが、Lで良かったな…って思っています。

 

さて。

「それでも姿勢いい私より、姿勢悪い美人のほうが美しいし、得をする」

という問題は解決していません。

 

でも、気づいたんですよ。

この姿勢ベルトがすごかったおかげで。

 

姿勢悪い美人のほうが得をしようが、姿勢よい美人に勝てないという事実があろうが、

それでも人生の主役は自分。

 

姿勢悪い自分でいるより、姿勢よい自分でいるほうが得が多いんですよ。

 

比べるのは姿勢のいい美人・姿勢の悪い美人ではなかった。

彼女たちは、こちらの人生に関係がない。

姿勢悪い自分と姿勢いい自分で、比べるべきことだったんです。

 

でも姿勢を正すのって、コストかかります。

わかります。

美しい仕草レッスンや、猫背をさんざん指摘されても治ってこなかった私なので、姿勢を治すコストが、金銭的にも労力的にも、半端ではないことを。

 

そりゃ「姿勢悪い美人のほうが得するんだから、何したってしょうがない」って気持ちもわいてしまうというものです。

 

でも、姿勢ベルトしたら、一発だから。

すぐ正しい姿勢わかるから。

気持ちいいから。

簡単だから。

お値段も3280円だから…。

 

このコストで、美しい所作と健康が手に入るなら、やるしかないです!

 

コスト低低で美と健康がアップされたら、

暗い考えは浮かばないんだな…と学びました。

 

暗い考えが頭に浮かぶのは、コストが高すぎるからなんです。

叶わないからじゃない。

 

そりゃハイコストだったら、ハイリターン期待するのが人間でしょ。

そこを私は見誤っていたというわけです。

 

さて、冒頭の私の考察にご共感頂けた方にこそ、マグザムの姿勢ベルト、オススメしたいです。

 

ローコスト美人法は心を救う。

ローコスト(お金だけじゃなくて、手間の意味でも)美人法を、もっと真剣に考えていきたいとおもいました。

 

 

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